- はじめに:あの夜、「終わったかも」と思った
- この記事を読んでほしい人
- バセドウ病発症の兆候:今思えば、身体はずっと警告していた
- 原因はたぶん仕事:ブラックな働き方は、身体を削って“いつか回収される”
- 健康診断でE判定:そこで初めて「病院に行くしかない」になった
- バセドウ病の治療開始:メルカゾールで数値が改善し、安心してしまった
- 無顆粒球症とは:防御力ゼロで世界に放り出される状態
- 発症の兆候:喉の激痛と高熱。これが合図だった
- 緊急入院:隔離、検査、点滴。「なぜ自分が」より先に恐怖が来た
- 医師に言われた言葉:これは本当に伝えたい
- 会社への連絡:言いづらい。でも言うしかない
- 入院生活のリアル:熱41℃、痛み、動けない。「死ぬってこういう感じか」と思った
- 治療:抗生剤の点滴と、毎日の採血。祈るしかない時間
- 入院期間と費用:退院しても、バセドウ病は終わっていなかった
- 入院中の暇つぶし:死なない程度に楽しんでいた
- 次の治療へ:アイソトープ治療を選んだ(手術は怖かった)
- アイソトープ治療の準備がきつい:地味に生活が壊れる
- 治療直後:ホルモン急上昇で、またしんどい時期が来る
- アイソトープ治療できる病院は限られる:地方だと本当に大変だと思う
- 治療の効果:やっと数字が下がってきたとき、心がほどけた
- 薬の変化:いまはチラージンのみ
- 後遺症に近い症状:回復は「退院=終わり」じゃなかった
- この経験で学んだこと:人生観が変わった
- おわりに:いま不安な人へ
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はじめに:あの夜、「終わったかも」と思った

喉がめちゃくちゃに痛かった。
熱は40℃を超えて、身体は鉛みたいに重くて、頭がまともに働かない。
「やばい」
そう思っているのに、スマホを触る気力すらなくなる。
その時、ふと頭をよぎった。
“これ、普通に死ぬやつかもしれない”
当時、私はバセドウ病の治療中だった。
薬は医師の指示どおり飲んでいたし、血液検査のために定期的に通院もしていた。
だから正直、安心していた。「治療してるんだから大丈夫だ」と。
でも現実は違った。
治療薬であるメルカゾールの、重篤な副作用――無顆粒球症。
私はそれを引いた。
救急搬送、即入院、隔離、検査。
医師に言われた言葉は、今でも強烈に残っている。
「もう少し遅かったら、危なかったよ」
この記事は、バセドウ病と診断され、治療の途中で無顆粒球症を発症し、“死を覚悟するところまで行った”私の体験談だ。
いま治療中で不安な人、
副作用が怖いけど情報が少なくて困っている人に、届けばいいと思って書く。
※これは医療アドバイスではなく体験談だ。症状があるなら自己判断せず、必ず医療機関に相談してほしい。
この記事を読んでほしい人
- バセドウ病と診断されて、治療や副作用が怖い人
- メルカゾール服用中で、喉の痛み・発熱などの体調異変が気になっている人
- 無顆粒球症の兆候や入院生活のリアルを知っておきたい人
- 小さな子どもがいて「自分が倒れたら終わる」と不安な人
バセドウ病発症の兆候:今思えば、身体はずっと警告していた
最初に出ていた症状は、いま振り返ると分かりやすい。
- 手足の震え
- 動悸
- 異常な発汗
- 急激な体重減少(約15kg)
体重が落ちたとき、最初はちょっと嬉しかった。最悪だ。
「痩せた=健康」みたいな雑な思考で、危険信号を全部スルーしていた。
でも身体は嘘をつかない。
私は確実に壊れていっていた。
原因はたぶん仕事:ブラックな働き方は、身体を削って“いつか回収される”
当時の私は、ブラック企業で二交代の夜勤を回しながら、残業100時間みたいな生活を続けていた。
寝不足、ストレス、疲労、栄養の偏り。
「やばい」と感じる余裕すらないまま、ただ回していた。
いま思う。
心身が壊れていたから、病気が表に出た。
逆に言えば、壊れたら誰でも出る可能性がある。
バセドウ病って、原因が一つじゃない。
でも少なくとも私は、仕事がトリガーになったとしか思えない。
健康診断でE判定:そこで初めて「病院に行くしかない」になった
健康診断で腎機能・肝機能がE判定になって、病院へ。
そこで言われたのが「バセドウ病」だった。
正直、最初はピンと来なかった。
「え、自分が?」という驚き。
そして次に出たのが、軽い気持ち。
「まあ薬飲めば治るでしょ」
この時点では、私はまだ知らなかった。
“治療の途中で、命に関わる副作用が出る可能性がある”ことを。
バセドウ病の治療開始:メルカゾールで数値が改善し、安心してしまった

治療は一般的な抗甲状腺薬、メルカゾールから始まった。
血液検査のために、2週間に1回くらいの通院。
最初の1か月は順調だった。
数値が改善していくのが分かる。体も少し楽になる。
だから安心した。
「よかった、これで終わる」と思った。
そして、その油断のまま地獄に落ちる。
無顆粒球症とは:防御力ゼロで世界に放り出される状態
無顆粒球症は、白血球の中の顆粒球がほぼゼロになる状態だ。
ざっくり言うと、細菌に対する防御力が消える。
普段なら問題にならない菌で、簡単に重症化する。
例えるなら――
RPGで防御力0のままラスボス戦に入るみたいな状態だ。
本人の気合とか根性とか、関係ない。普通に負ける。
発症の兆候:喉の激痛と高熱。これが合図だった
ある日、突然来た。
- 喉の激痛
- 40℃超えの発熱
喉が痛い、ってレベルじゃない。
「喉が終わった」みたいな痛みだ。
熱が上がるにつれて、思考が削れていく。
この時点で私は会社で倒れた。
緊急入院:隔離、検査、点滴。「なぜ自分が」より先に恐怖が来た

そのまま病院へ。
即入院、隔離、検査の嵐。
診断は無顆粒球症だった。
確率は「1000人に2〜3人」くらいだと言われた。
低い。確かに低い。だけど、引いたら100%だ。
「なぜ自分が」と思う間もなく、先に来たのは恐怖だった。
“普通に死ぬかもしれない”
体が動かない。熱で意識が薄い。
何より、身体の中の防御が消えているという事実が、怖い。
医師に言われた言葉:これは本当に伝えたい
医師は、かなり強い口調で言った。
「喉が痛くなったら、夜でも救急に来なさい」
「これ以上遅かったら、危なかったよ」
これだけは、この記事で一番伝えたい。
バセドウ病の治療中(特に抗甲状腺薬の服用中)で、喉が痛い・高熱が出たら、迷わず病院に行ってほしい。
様子見していい領域じゃない。
“気合で治る風邪”とは別物の可能性がある。
もちろん、喉の痛み=必ず無顆粒球症ではない。
でも、万一だったときの代償がデカすぎる。
会社への連絡:言いづらい。でも言うしかない
倒れた側は、「会社に迷惑をかける」が先に出る。
これもブラックに染まった思考だと思う。
でも、入院が必要な状態は、もう個人の努力ではどうにもならない。
正社員なら、入院手当や休業補償がある場合もある。まずは生きることが優先だ。
そして、ここで痛感したことがある。
奥さんがいなかったら人生詰んでた。
買い物も、洗濯も、子どものことも、何もできない。
「ありがとう」じゃ足りない。支えがなければ終わっていた。
入院生活のリアル:熱41℃、痛み、動けない。「死ぬってこういう感じか」と思った
体調は最悪だった。
- 41℃の熱
- 全身の激痛
- ベッドから動けない
“弱ってる”じゃない。
“人間として崩れている”に近い。
ふとした瞬間に思った。
「人ってこうやって死ぬのかな」
怖いのに、怖がる余裕すらない。
意識が熱で薄くて、時間感覚が壊れる。
治療:抗生剤の点滴と、毎日の採血。祈るしかない時間
治療は、
- 抗生剤の点滴
- 毎日の血液検査
白血球(顆粒球)の値が上がるのを待つしかない。
数字が1日で劇的に増えるわけでもない。
“少しずつ戻る”のを、ただ待つ。
この期間は本当に長く感じた。
入院期間と費用:退院しても、バセドウ病は終わっていなかった
入院期間は約2週間。
費用は約18万円だった。
退院できたときは、もちろん嬉しい。
でも同時に思った。
「いや、何のための入院やねん……」
無顆粒球症は落ち着いた。
でもバセドウ病そのものは治っていない。
私は、まだ治療の入口に立っているだけだった。
入院中の暇つぶし:死なない程度に楽しんでいた
完全個室だったので、気力がある日は一応楽しんでいた。
- ゲーム→モンハン
- ネットフリックス→VIVANT、Breaking Bad
「楽しむ」っていうより、
気を紛らわせないと精神が持たない、に近い。
次の治療へ:アイソトープ治療を選んだ(手術は怖かった)
次に提示された選択肢は、
- 手術
- アイソトープ治療
私は手術が怖かったので、アイソトープ治療を選択した。
アイソトープ治療の準備がきつい:地味に生活が壊れる

準備がとにかく面倒だった。
- 眼科で検査、MRI(これがめちゃくちゃ面倒くさい)
- ヨウ素制限(昆布だし禁止 → 和食ほぼ全滅)
- 治療スケジュールの調整
眼科の検査はクリアしないと、アイソトープ治療はできなくなる(眼が治療に耐えられないと判断される)。
この時期は本当に、食生活が終わる。
私はひたすらカレーとパスタを食べていた。
治療直後:ホルモン急上昇で、またしんどい時期が来る
アイソトープ治療後、1〜2か月は甲状腺ホルモンが急上昇した。
- 動悸
- 息切れ
- 体温上昇
「治療したんだから楽になる」じゃない。
むしろ、しばらくはしんどい。
運動もサウナもできない。
ストレス発散の出口がない。
これは精神的にかなり削られた。
アイソトープ治療できる病院は限られる:地方だと本当に大変だと思う
アイソトープ治療を実施できる病院は限られている。
私は都心部だったので何とか回せたが、地方なら相当きついと思う。
「治療法がある」のと、「受けられる」のは別だ。
これも、病気になって初めて知った現実だった。
治療の効果:やっと数字が下がってきたとき、心がほどけた
治療3か月後、ホルモン値が下がり始めた。
治療4か月後、分泌が完全に抑えられた。
医師と一緒に喜んだ。
“数字が良い”って、こんなに救われるんだと思った。
薬の変化:いまはチラージンのみ
- 治療直後:ヨウ化カリウム
- その後:チラージン
- 現在:チラージンのみ服用
後遺症に近い症状:回復は「退院=終わり」じゃなかった
地味につらかったのが、ここからだ。
- 体力が戻らない
- 頭の回転が遅い
- 言葉に詰まる、もやもやする精神症状
「治療できた」のに、
自分が自分じゃない感じが続く。
これが完全にマシになったのは、治療から1年後だった。
正直、長い戦いだった。
この経験で学んだこと:人生観が変わった
① 働きすぎるな。仕事に殺される
やばい職場は脱出したほうがいい。
私はこのあと、すぐ転職した。
仕事は大事だ。でも命の方が大事だ。
これを綺麗事じゃなく、身体で理解した。
② 好きなことをして生きたほうがいい
人間は思ったより簡単に死ぬ。
だから私は、この経験を機に家を買い、ブログを始めた。
「いつかやる」は、永遠に来ないことがある。
やるなら、元気なうちだ。
③ 健康診断は本当に大事
健康診断がなかったら、今ごろ生きていなかったと思う。
年1回の健診は、マジで命を救う。
おわりに:いま不安な人へ
この経験で、健康のありがたさと、家族の支えの大きさを痛感した。
もし今、あなたが同じように不安の中にいるなら伝えたい。
治療は長い。
でも、確実に良くなる。
そしてもう一つ。
メルカゾールなどの治療中で、喉の痛みや高熱が出たら、迷わず病院へ行ってほしい。
「大げさかな」と迷う時間が、命取りになる可能性がある。
この体験談が、誰かの希望や判断材料になればうれしい。



