馬鹿でよかった。誰もやりたがらない共同研究が、5年後にアメリカ特許になった話

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1. はじめに

大学時代、私は研究室の中で“落ちこぼれ”のような立ち位置だった。
派手な成果があるわけでもなく、教授の目に留まるタイプでもない。輪の中心で議論を回す側でもなかった。

みんなが研究室の主流テーマで盛り上がる中、私が担当していたのは企業との共同研究だった。

共同研究と聞くと聞こえはいい。だが、学生の立場からすると地味で、やりづらいことが多い。企業の要望に合わせる必要があり、自由度が低い。しかも守秘義務が絡むと、外に向けて成果を語ることすら難しくなる。

教授からは「好きにやっていい」と言われることも多かった。放任は一見ラクに見えるが、困ったときに相談できる相手がいないという意味でもある。研究室の中で孤立しやすいポジションだった。

要するに、誰も積極的には選びたがらない“余り物のテーマ”だった。


2. 誰にも注目されないテーマ

研究室の仲間たちは、教授が強く関わるメインテーマに取り組んでいた。
論文投稿や学会発表に向けて夜遅くまで議論し、研究室の空気を作っていた。JACSやNature、国際学会――そういう言葉が自然に飛び交う輪があって、正直うらやましかった。

その輪の中に、私はいなかった。

実験台の隅で、私はひたすら化合物を作り続けた。うまく反応しない日が続いても、相談できる相手はいない。データとにらめっこして、条件を変えて、また失敗して、また条件を変える。それを黙々と繰り返した。

ときどき、他の学生に「まだそれやってるの?」と軽く笑われた。
共同研究というだけで、「外れを引いた人」という空気があった。

それでも、なぜか諦められなかった。

「これ、もしかしたら面白いところに辿り着くかもしれない」

根拠は薄かった。ただ、妙に引っかかっていた。
その引っかかりだけが、私を動かしていた。


3. 教授も詳しくない研究

私が扱っていたテーマは、教授の専門分野から少し外れていた。
つまり技術的な指導も、細かい軌道修正も、ほとんど期待できない。実験計画も、分析方法も、自分で調べて決めるしかなかった。

文献を読み漁り、論文に書かれていない細部を想像で補う。試薬の順番を変える。温度を少しずつずらす。溶媒を替える。攪拌条件を変える。たった数ミリグラムの生成物を得るために、一日が終わる。

誰も見ていない。
誰も褒めてくれない。
でも、私は妙に楽しかった。

「これを形にできたら、絶対に面白い」

そう思える瞬間があった。
派手さはないが、自分の手で未知を潰していく感じがあった。


4. 終わり方の分からない研究

共同研究は、大学の都合だけでは進まない。企業のスケジュールや判断が優先される。だから、突然終わることもある。

私の研究も、卒業が近づいた頃に「いったん区切りにしよう」と言われた。
その言葉は静かだったが、重かった。

結果として、目に見える大きな成果は残らなかった。
教授からも「まあ、よくやった」と軽く言われて終わった。

同じ時期に卒業した仲間たちは、論文を書き、賞を取り、有名企業の研究職に就職していった。研究室の中で成果が“形”になり、周囲からも分かりやすく評価されていく。

私はというと、「あの共同研究の人ね」で終わりだった。
誰も、その先に何が起こるかなんて気にしていなかった。

私自身も、どこかで思っていた。
「結局、外れを引いたのかもしれない」と。
誰も、その後どうなるかなんて気にしていなかった。


5. それから5年後

社会人になって5年が経ったある日、大学から一通のメールが届いた。

「あなたの研究が、日本とアメリカで特許登録されました。」

最初は信じられなかった。
あの頃、誰にも注目されなかったテーマが?
自分が一人で続けていた、あの孤独な実験が?

詳細を確認すると、確かに私の名前がアメリカ特許に載っていた。
学生として登録されているのは、私一人だけだった。

外れだと思っていたものが、時間をかけて“形”になって戻ってきた。
その瞬間、胸の奥に溜まっていたものがほどけた。

あのとき笑われた実験、評価されなかった日々。
全部が、ようやく一本につながった気がした。

努力はすぐに報われない。
でも、消えるわけでもない。
時間をかけて、形を変えて、静かに返ってくることがある。


6. 馬鹿でよかったと思う

私は、馬鹿でよかった、損得で動けなかった自分でよかったと思っている。
もし私がもう少し賢く、計算高い学生だったら――共同研究なんて早々に見切りをつけていたはずだ。

メインテーマで成果を出し、学会発表し、評価されやすい道を進む。
それが王道であり、合理的だ。優秀な人は、その道を進めばいい。

でも私は違った。

「面白そう」
それだけだった。

効率も、評価も、将来の計算も、当時はほとんど持っていなかった。
それでも手を止められなかった。やらずにはいられなかった。

結果として、あの研究はアメリカで特許として登録された。
学生の名前として残る形で。

あのとき遠回りに見えた時間も、全部必要だったのだと思えるようになった。

王道を歩く人は尊敬している。
ただ、王道では拾えないものが、邪道の先に落ちていることもある。

理解されなくてもいい。損してもいい。
自分の心が動く方向に、一度賭けてみる。
その“不器用さ”が、後になって誰にも真似できない物語になることがある。


7. おわりに

落ちこぼれのようだった学生時代。
誰にも相手にされなかったテーマ。
あの頃は、自分の選択が間違いだったと思っていた。

でも今は胸を張って言える。
あのときの“遠回り”が、いちばん面白い結果をくれた。

そして今、特許登録という形で研究成果が可視化され、私のキャリアの見え方も少し変わった。評価されなかった時間が、別の場所で効いてくる。そういうことが本当にあるのだと実感している。

外れだと思ったものが、大当たりに化ける。
これこそ研究の醍醐味だと思う。

どんなテーマにも、眠っている価値がある。
誰も注目していない場所にこそ、未来の答えが潜んでいる。

だから、もし今、自分のやっていることに自信が持てない人がいるなら、私はこう伝えたい。

「それ、もしかしたら大当たりかもしれないよ」

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SATOSU

こんにちは、SATOSUです。
35歳です。

元 製薬・化学系メーカーにて、
研究・生産技術・DX推進を横断的に経験してきました。

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